『プルトニウム ファイル ― いま明かされる放射能人体実験の全貌』アイリーン・ウェルサム

ここに紹介する本は、米国ニューメキシコ州の新聞社、アルバカーキー・トリビューンのアイリーン・ウェルサム記者が、マンハッタン計画の医師たちによる放射能人体実験を取材した全記録です。名前も写真もないコードネームだけの18人の被験者のデータを基に、粘り強い取材を続けて被験者一人ずつの状況を明らかにしています。

アイリーン・ウェルサム記者は、1930年から1990年代にわたり、新規に機密扱いを解かれた文書や被験者への面接の記録を入手し、各被験者について綿密に分析しました。これら一連の報道で、彼女はピューリッツァー賞を受賞。医師たちによる人体実験の目的は「放射性物質は人体に何をするのか」を知るためだったと言います。

以下は人体実験例です。「マサチューセッツ州のある学校で、73人の障がい児が朝食のオートミールと一緒に放射性のアイソトープをスプーンで与えられた。ニューヨーク州北部の病院では、下垂体疾患の18歳女性が関係のないプルトニウム入りの注射をされた。テネシー州の産院で、829人の妊婦が「ビタミンカクテル」と称する飲み物を出産前の治療として飲まされた。それは放射性の鉄を含んでいた。」

被験者として犠牲になったのは、貧しい人たち、重症患者でまもなく死ぬ人たち、障がい者などでした。医師によるインフォームドコンセントはどの被験者にも実施されませんでした。被験者の死後も放射性物質が残留しているかどうかを調査するために、遺族の了解を得た人だけについて死体発掘調査をしました。   

この件に関して、2冊の日本語版が出ています。

原著:The plutonium files: America’s secret medical experiments in the Cold War 著者:    Welsome, Eileen. New York, Dell Publishing. c 1999 https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=11095

1.『プルトニウム人体実験 マンハッタン計画』アルバカーキ―・トリビューン 編.  広瀬隆 訳・解説. 東京・小学館, 1994, 366頁 (注)この日本語版は、アルバカーキ―・トリビューン紙に掲載された記事をさかのぼって編集し、和訳したものです。翻訳者による解説もあります。

https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=11096

2.『プルトニウム ファイル―いま明かされる放射能人体実験の全貌』 アイリーン・ウェルサム (著), 渡辺 正 (翻訳) 東京, 翔泳社, 2013, 549頁 (注)原著の最新翻訳版。こなれた日本語で読みやすい。     https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=11096

バーバラ・レイノルズとワールド・フレンドシップ・センター 被爆者の声を世界に届けたアメリカ人女性

この日本語版小冊子は、英語版小冊子と一緒に広島のワールド・フレンドシップ・センターから2021年に発行されました。平和活動家であり、ワールド・フレンドシップ・センターの創設者であったアメリカ人女性、バーバラ・レイノルズさん(1915-1990)の活動を世界の人々に知ってほしいという思いで、関係者の方々は取り組みました。

彼女が家族と共に初来日した1951年から彼女が亡くなった1990年までの活動については、冊子の最終ページにある「バーバラ・レイノルズ年表」で知ることが出来ます。彼女の夫で人類学者の、アール・レイノルズ氏が広島のABCC(当時原爆障害調査委員会、現在は放射線影響研究所)に派遣され、一家で広島に来ました。

レイノルズ氏がABCCでの任務を終えた後の1954年に、家族は、ヨットで世界平和の実現を訴えるために世界1周の航海に出発しました。1962年に、バーバラさんは、被爆者と共に第1回平和巡礼を企画し実践。世界の14都市を訪問しました。1965年には、原田東岷医師と共に、広島にワールド・フレンドシップ・センターを発足させたのです。

バーバラさん初来日の1951年からアメリカに永久帰国した1969年までの間、広島に在住したのは、通算12年間でした。米国に帰国した後も、平和活動は終生続けました。1982年には、被爆者の描いた「原爆の絵」を携え、被爆者の松原美代子さんと共に米大陸を2か月間かけて横断する「反核平和キャラバン」の旅をしました。2011年6月に平和公園内に設置されたバーバラさんの記念碑には、彼女がいつも言っていたという2つの文章が刻まれています。「私もまたヒバクシャです。私の心はいつも ヒバクシャ ヒロシマ とともにあります」。

日本語版と英語版の小冊子は、ワールド・フレンドシップ・センターが無料で配布しています。https://www.wfchiroshima.org/

【レイノルズさんの家族が書いた本・論文のリスト】

Reynolds, Jessica/ To Russia-with Love/ Tokyo/ Charles E. Tuttle Co., 1962. https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=2902

ジェシカ・レイノルズ著 大久保康雄訳/ ジェシカの日記/ 角川書店/ 1964/ 282頁          https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA46299971

Reynolds, Earle/ The Forbidden Voyage/ New York/ David McKay Company, Inc., 1961. アール・レイノルズ 「フェニックス広島号の冒険」(中国新聞に1961年10月10日付から134回掲載)          https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=2629 

Reynolds, Earle, and Barbara Reynolds/ All in the Same Boat, an American Family’s Adventures on a Voyage around the World in the yacht “Phoenix”/ New York/ David McKay Company, Inc., 1962. https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=10294

Reynolds, Earle L. アール・レイノルズ/ Growth and development of children exposed to the atomic bomb, Hiroshima; 3-year study, 1951-53 広島原爆被爆児童の成長および発育-3か年(1951-53)の研究/ [in:] Technical Report ABCC業績報告書. Hiroshima; Nagasaki 広島;長崎, Radiation Effects Research Foundation 広島-長崎原爆障害調査委員会, No. 20-59, 1959.  https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=718

Reynolds, Barbara/ さらば広島: Goodbye to Hiroshima/ Hiroshima/ Association to Express Appreciation to Barbara San, the YMCA, 1969. 日英併記。https://www.linguahiroshima.com/jp/detail?id=1530