画集の出版が待たれる本:ヘンリー市川氏が遺した奇跡の原爆画

画家ヘンリー市川氏(1925-2012)が遺した原爆画を継承しておられる河野明・安美夫妻のご厚意で、市川氏と妻の河野多恵子氏(芥川受賞作家)が住んでいた麹町の旧宅で絵を見せていただく機会を得ました。残した絵は約2千点。そのうち原爆画は約100点。氏は、兵士として長崎で原爆投下直後に救護活動をし、広島でも投下後の惨状を目撃しました。さらに1992年から2004年まで夫婦で暮らしたニューヨークでは、2001年に9.11同時多発テロ時に遭遇。『私は「9.11」の貿易センタービルでも、かいだ臭いの残酷さを覚えた。あとになり、それは長崎でかいだ臭いと同じだと気付いた』というメモと共に、氏は”2001年9月11日”と題した抽象画を残しました。多くの言語で出版された丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』のように氏の画集が多言語で翻訳・出版される日の来ることを期待しています。

ヘンリー市川の奇跡の原爆画
https://www.hichikawa.net/

上記のサイトではもっと多くの原爆画を見ることができます。

<文献新着情報><他言語版が出てほしい本>

韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部編集 『히로시마로 ヒロシマへ… 韓国の被爆者の手記 [改訂版]』広島, 韓国の原爆被害者を救援する市民の会, 2019. 1987年初版出版の改訂版が今夏に出ました。表紙絵と挿絵の作者は、原爆ドームを描き続け、今年4月に87歳で亡くなった原広司さんです。この本は、広島で被爆し、戦後韓国に帰国した3人の在韓被爆者の手記を収録しています。在韓被爆者の体験を小学生も理解できるように、手記篇の活字を大きくし、分かりにくい言葉には脚注が付いています。

手記の筆者3名は、ともに原爆を生き延びたものの、帰国後原爆症に苦しみ続けました。崔 英順(チェ ヨンスン)さんは、1986年、李 順玉(イ スノク)さんと厳 粉連(オン ブニョン)さんは、2012年に亡くなりました。

今回の改訂版には、韓国・朝鮮の地図、1945年8月原爆投下時の広島市地図が加わりました。また、巻末には、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」会長、市場淳子氏の解説と関連年表が付いています。韓国の若者にも在韓被爆者の歴史を知ってほしいと韓国語訳を出版する予定。英語をはじめ他言語版も出てほしい本です。

ハロルド・アグニュー氏 広島訪問と被爆者との対面 (2005)を見て

レイモンド・ウイルソン  リンガヒロシマのデータベース「物理学と工学」部門の監修者

広島・長崎への原爆投下の是非に関して少しでも考えるとすれば、大抵の若い世代の米国人物理学者は、アグニューのようには考えないと思う。

アグニューが成人してからの人生は、専ら核兵器開発と米国による防衛を優位にすることに注がれた。彼は、2013年に亡くなるまで、真珠湾攻撃のことが頭を離れなかったようだった。

アグニューは次のように言ったとされている「私は、科学と軍隊は協働すべきだと常に感じてきた。レオナルド・ダ・ヴィンチにしてもミケランジェロにしても、最初から彼らはそうやっていたのだ。彼らは、責任者のために物をデザインしてきたのだ」と。従って、彼は終生核兵器の設計に積極的に関わった。

では、どういういきさつで彼はそのようになったのだろうか。

「あなたは、当時何をしていたのですか」という質問に対して「これをしろと言われたことは何でもやっていた。世界の未来について、長い目で見るとそれが何を意味するのかなど、十分に学んでおらず、正しく認識する知識もなかった」と私は答えた-ハロルド・アグニュー(ロスアラモス国立研究所 エノラ・ゲイ科学観測員)

拙書の46頁参照のこと。無料ダウンロードはこちら:

Nuclear War: Hiroshima, Nagasaki, and A Workable Moral Strategy for Achieving and Preserving World Peace (23 MB, 256 pages)

 

米国でも日本でも、軍隊内で起こることはこれだ。(拙書47頁参照のこと):

例えば、スメッドリー・ダーリントン・バトラー少将は、こう述べている。「ほかの軍人と同様、除隊するまでは、自分独自の考えを持つことはなかった。私の知的諸能力は、上司の命令に従う間、仮死状態のままだった。これは、兵役に服した者の典型的な状況だ」米国海兵隊(退役)。著書 “Old Gimlet Eye,” “Hell Devil Darling,” “The Fighting Quaker,”  “Old Duckboard.”  Brevet Medalist, Congressional Medal of Honor (twice). 名誉進級受賞、米国議会名誉勲章(受賞二回)

アグニューは、終生軍隊を退かなかった。従って、だれがそれをしたのか、なぜやったのかに関わらず、彼は戦争の残虐さに気づくことはなかったようだ。アグニューは自らがそのような残虐行為に加わったということについて、あまり深く考えたことがなかったのは明らかだ。ただ、彼は、未来の核兵器使用については無謀なことだ―と実際に述べている。恐らくアグニューは生前、広島・長崎を真に理解するに十分な時間がなかったのだろうと思う。

<付記>

TBS―被爆60年(2005年)。米国在住のアグニュー氏をインタビューし、彼に広島訪問と被爆者との面会を勧めた:

「あの時、原爆投下は止められた」原爆開発科学者と被爆者の初対話 全内容

 

 

松永京子著『北米先住民作家と<核文学>-アポカリプスからサバイバンスへ』2019、英宝社

リンガヒロシマは、著者の松永京子神戸外国語大学准教授からこの本の寄贈を受けました。「核文学」という領域に関し、今後の研究者にとって必読の書になると思われます。他言語で出版されて、世界で共有してほしい本です。2006年に受理された博士論文に大幅な加筆修正をし、学術雑誌や共著本の一部として日本語や英語で発表した複数の論文で構成。北米先住民作家による文学作品6点を取り上げ、先住民のサバイバルの物語を人類が直面している核による全面破壊の危機と対峙させます。第六章では、先住民保留地出身のジェラルド・ヴィゼナー『ヒロシマ・ブギ』と大田洋子『夕凪の街と人と』に共通する「見せかけの平和」や「平和のイカサマ師」への拒絶ーについて論述。大田作品に新たな切り口で迫ります。巻末の引用参考文献リストは、研究者にとって資料の宝庫です。

旧浦上天主堂の被爆十字架

海外で原爆文献資料を多く収集しているオハイオ州ウイルミントン大学平和資料センター(故バーバラ・レイノルズさんの貢献によって1975年に創設)が保管してきた旧浦上天主堂の被爆十字架。今夏、センター所長ターニア・マウスさんの手で返還されます。リンガヒロシマは、原爆文献資料についてセンターと情報交換をしています。
Wilmington College Returning Atomic-Bombed Cross to Nagasaki Cathedral

「被爆の十字架」

オハイオ州ウイルミントン大学平和資料センター所長、ターニア・マウスさんが今夏長崎の旧浦上天主堂に返還する「被爆の十字架」の記事日本語版です。

サーローさんの被爆体験記

一昨年ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した際のサーロー節子さんの講演で「(原爆犠牲者は)ひとりひとりに名前がありました。ひとりひとりがだれかに愛されていました」という文言が心に残った人は少なくないと思います。この日本語版体験記の巻末に犠牲者350人の名簿が付記されています。また、サーローさんの被爆体験記もこれらの本に収録されています。所蔵館:資料館、広島県立・市立図書館、国立国会図書館、国内大学所蔵館12館。